令和2年6月から妨害運転罪が適用され、あおり運転が厳罰化されました。 2020年10月現在、ドライブレコーダーの記録を根拠とした逮捕者が2名出ているようです。
しかし、メディアでは明らかに悪質な妨害行為をしていると証明できる状況であっても、モザイクをかけ、加害者を保護して報道しようとします。
そこには一体どんな思惑があるのでしょうか。分かりやすく簡潔に解説していきます!
人権尊重とモザイク
今日の世の中では、人権の尊重や男女平等など、昔と比べて個人に対する権利を主張する風潮が強くなっています。
最初に言ってしまえば、モザイクがかけられるかどうかの線引きは明確に定まっているわけではありません。モザイク有無の判断もモラルの問題やメディア側のリスクを加味して決定されています。
ただ、その線引きにもある程度の共通認識はあります。メディア報道直後の”容疑者”の段階から、容疑が確定していく段階でモザイクが外れていくようです。
もう少し詳しくお話しします。
犯人として確定されていない
テレビ等で報道され始めた初期段階ではあくまで容疑者(疑いをかけられてる状態)に過ぎず、形式的には犯人だと断定できていません。そのため容疑をかけられていても人権保護の観点から、メディアは顔出し報道を避けようとします。
万が一容疑が晴れて無実が証明された場合、メディアが既に顔を晒してしまっていると責任を取らなければいけません。もっとも煽り運転の場合、ドライブレコーダー等の動画で証拠が明確になっているため実際はほとんどありえませんが…。
しかしながら、精神疾患等の理由で罪に問われなかったり刑が軽くなったりすることもあります。マスコミ, メディア側はそういったリスクを避けようとしているのです。
いつの間にかモザイクが外れている
前見たときはモザイクがかかっていたのに、いつの間にか顔出し報道されている
なんてことはよくあります。
その段階が前述したモザイク有無の線引きを加害者が通過したということになるのですが、一般的には容疑をかけられ、逮捕(身柄を拘束)された段階のあたりでモザイクが外されることが多いようです。
容疑の確定という意味では、もう一歩先の刑事裁判を通過してからということになろうと思いますが、前述の通りモザイク有無に明確な線引きはないため、あくまでモラルの観点から判断されています。
メディア側からすれば、事件が知れ渡り全容の報道を望む人が増えつつある中、逮捕されたあたりで”もう大丈夫だろう”と判断しているのでしょう。
~あおり運転~トラブルの未然防止には
少し話は変わりますが、クルマを運転しているのは人間ですから、当然その日の気分等によって、多少乱暴になってしまうのもまれなことではありません。
あおり運転などの事件映像としてメディアで流れるドライブレコーダーの動画では、事前にどのような駆け引きがあったかまで報道はされませんが、きっかけは意外にも些細なことだったりします。
ちょうど口論がヒートアップすると収集がつかなくなるように、ちょっとした車線変更や追い抜きをきっかけにお互いを意識してしまうと、気が付くと大変なことになっていたりするものです。
なにしろ重さ1500kgを超えるような鉄の塊を操っているわけですから、本能に任せて運転することがいかに危険かは自明でしょう。
ですから大切なことは、怒りという小さな火種をそれ以上大きくしないこと。ちょっとイラっとする場面があっても、一呼吸置けば相手はそれ以上構うことはありません。
自分がちょっとした妨害行為に反応してしまい、お互いが意識し始めたら大変危険です。トイレでも急いでいるんだろう、と思っておきながらやさしい目で見てあげましょう。笑
逆に自分が小さな火種を作ってしまうこともあるかもしれません。たとえ急いでいるときでも、サンキューハザード等の意思表示1つで人の心理は大きく変わるものです。
無理せず安全運転するのが一番ということは言うまでもないですが、トラブル未然防止の観点から言えば、相手への意思表示は大きなリスク低減になるはずです。
まとめ-容疑者とモザイクの関わり
今回はあおり運転を例に、メディア報道にかかるモザイクの有無の基準、おまけで運転トラブル防止の考え方をお話ししました。
モザイクに関しては法などで決まりがあるわけではなく、あくまで今現在はモラルの範疇での判断ですので、この先の時代の流れで大衆の考え方が変わればそれに合わせて変わっていくのかもしれませんね。
普段ドライバーとしてハンドルを握る方は、様々な人が様々な事情を抱えて運転していることを意識すべきです。そして妨害運転に巻き込まれる可能性を想定しておくことが大切です。
日常生活でも活用できますので、リスク回避の考え方を常に片隅に置き、あらゆる火種をさらっと受け流せるよう心がけていきましょう!
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